「レイク」などの大手からの自転車操業状態で、借金地獄の日々

僕の消費者金融のデビューについて、かいつまんで御紹介していきたいと思います。今から15年位前の頃でしょうか。僕は当時しがない安月給サラリーマンをやっておりました。給料が手取り20万円。ボーナスなんてほとんどないに等しい会社でした。そんな僕も、当時はまだ20代と若く遊び盛りでした。遊び盛りとはいえ、僕は友達が多いわけではなかったし、彼女がいたわけでもありませんでした。また楽しく打ち込める趣味があったわけでもありません。一人でブラブラと夜の街に繰り出してキャバクラに行ったり、ゲームセンターで遊んだり、パチンコをしたり、競馬をしたり、風俗で女を買ったりと、怠惰な生活をしておりました。

僕は、岩手県の山間にある田舎で育ちました。高校を卒業して上京し就職して、独り暮らしを始めたわけですが、田舎者の若い僕にとっては、東京の華やかな街は娯楽と誘惑でいっぱいだったのです。仕事が休みの日は、若さゆえ、東京の街で一人遊び呆けておりました。また会社の仕事が終わった後の夜のお付き合いも、週に3~4日はありました。居酒屋で軽く一杯やる程度なら問題ないのですが、その後に調子に乗ってキャバクラやスナックなんかにもハシゴする日々。

こんな生活をしていれば20万円の安月給のサラリーマンの、私の懐が持つわけがありません。いつも給料日前は金欠でした。生活に必要なお金が足りなくなると、実家の親や友達に無心。本当にお金に怠惰な生活を送っておりました。渋谷、新宿、池袋などの街のネオンに消費者金融の看板が目に入りました。幸い私は「消費者金融なんて怖くてお金を借りれない」というイメージをずっと持ち続けてきたので、今まで消費者金融からお金を借りずに生活してきたのですが、生活費や遊ぶお金に困った私は、ふと「消費者金融でお金を借りてみようかな」と、少しづつ思うようになってきたのです。そしてついに、消費者金融でお金を借りる日がやってきたのです。

私の意識も「消費者金融も怖くない」というイメージに変わりつつありました。「プロミス」とか「レイク」とかいった誰でも知っている消費者金融会社から借り始めました。有名な大手の消費者金融から数社借りて自転車操業的な生活を何ヶ月もしていたのですが、持ちこたえられずに、次に中堅の「シンキ(ノーローンカード)」とか「プリーバ」とかからも、借り入れし始めました。

そしてこれらの消費者金融の返済や自転車操業もきつくなってきて、次に融資をお願いしたのが中小の消費者金融です。「東日本信販」とか「ナカノ」とかなんかです。ついに「オリックスVIP」に「おまとめ一本化」の融資をお願いしたことがありましたが、既に他社借入件数が10件以上の超多重債務の僕にとっては、融資を拒否されました。現在は消費者金融の毎月の返済に追われつつも、複数の仕事を掛け持ちしながらなんとか生活しております。借金地獄です。でも、人間って、何とか生きられるものなのですね。

閉じる